みっちーです。

ラーメン屋店長でもありガールズバンドのドラマーでもあるmitchyがキャラブレ覚悟で本音を赤裸々に語るプライベートなブログです

24mitchy 12/17 14:00〜15:00 "思い出"

こんばんは、みっちーです🐯

 

無事に母から車を借り、向かったのは

相模原の端の端

 

南橋本

 

小田急相模原からだと車で1時間弱

 

村富線を経由して国道16号を通っていく

 

その間には学生時代によく通った道や建物があって

久しぶりにその道を走りながら、がらにもなく!もの思いに耽ってしまった、、

 

思い出したのは高校時代のこと

 

わたしは、吹奏楽部に所属していて

県立高校ながら、市内では私立の高校にも負けず劣らずの強豪校だったと自負している

 

練習は、朝から晩まであり

月に2回くらい、土日のどこかで休みがあるだけという校内でいちばんの、ストイックな部活だったと思う

 

当時、顧問の先生の他に外部指導の先生が来ていて

指揮を取ってくれていたのが

当時まだ20代だった(と思う)、教員志望のO氏

 

当時はそれが当たり前だったから何も思ってなかったけど

今考えたらかなり熱意のある指導者だったと思う

 

彼は町田の少し先からいつも原付で指導に来ていて

音楽室に入るなり、チューニングをして、合奏の指揮を取るのだが

 

音楽的な指導はもちろん、人間的な指導について特に熱く厳しく

時に、合奏を中断するくらいの熱意で

わたしたち生徒を指導してくれた

 

はたまた、練習が終わると

校舎の外で長い時間、他愛もない話や、時に大切な話をしてくれたりして

その時の笑顔や、真剣な表情が思い出される

 

そういう時間の中で、彼に教わったことで今でも無意識に大切にしていることが

わたしの中にはたくさんある

 

音楽(部活)以外、何にも興味がなく

進路さえも決められなかったわたしを

「教員」「指導者」という道に導いてくれた

 

自分では、誰かを教えたりすることに長けていると思ったことはなかったけど

「お前は絶対向いてる」「教員になれ」という彼の強い言葉が、今でも心に刻まれている

 

まぁ、色々あって教員にはならなかったけど

こうしてお店の中で今でも「指導」や「教育」に携わっていることが

やはり、彼の言っていたことは間違っていなかったのかななんて

ふと思ったりしているくらい

 

わたしは心から彼を信用していたし、今も、たぶん信じている

 

わたしは、O氏のことをとても尊敬していたし

当時、彼のような人間になりたいと思っていたことを本気で思い出してしまった

 

そこで今わたしがふと思ったことは

 

彼のようになれているか ではなくて

いま、わたしが、

「この人みたいになりたい!」と

心から思える人に出会えているか

 

ということ

 

大人になって、周りの人たちより自分の立場が

上になったりして

「目指す人」というのがなかなか見つけられない

だけどそれって、いくつになっても必要なことだと思う

 

いまわたしは、

 

自分が正しいことをしているのか

やりたいことをやれているのか

何を目指しているのか

 

ということに悩むことが実はたびたびある

 

思えば、高校時代はそういった明確な

目標とする存在が身近にあって

迷ったり、悩んだりすることがなかった

 

わたしが、若い時にO氏に憧れを抱いていたように

自分も若い人たちにそう思われるような人間でありたいって思う

 

そのためには、わたし自身、いま、目標とする人物を見つけなければならない

 

 

そういえば

わたしが大学を卒業した直後から、O氏とは連絡を取らなくなり疎遠になってしまったな

 

いつか、会える時が来るのかわからないけど

その時に

「やっぱりお前は変わらないな!」って言われるような自分でいたい

 

 

そんなことを思いながら1時間ほど運転し

気づけば目的地に到着していたのであった

 

 

つづく